童話屋 編集長 田中和雄
初めて谷川さんに会ったのは50年も昔、ぼくが青山に童話屋書店という子どもの本屋を開いたときです。谷川さんはレジに立っているぼくに直立不動の姿勢で「ぼく、谷川俊太郎です。このお店はいいお店です。詩を読ませてもらえませんか」とおっしゃいます。人懐っこい笑みを浮かべて恥じらいながら、5歳の少年のようです。それ以来、同じ杉並区の友人で、深入りせず、こんちは、さよならの付き合いがつづきました。
50年も過ぎて谷川さんは初めと何も変わることはありませんでした。いつ会っても礼儀正しく、ていねいにお話しします。他の人にも、子どもにも同じです。いつも機嫌良く目は笑っています。
ぼくはそういう谷川さんが大好きでした。
その谷川さんに「ぼくのゆめ」という詩があります。
「おおきくなったらなにになりたい?
と おとながきく
いいひとになりたい
と ぼくがこたえる
おこったようなかおをしておとなはいう
もっとでっかいゆめがあるだろ?
えらくならなくていい
かねもちにならなくていい
いいひとになるのがぼくのゆめ
と くちにださずにぼくはおもう」(後略)
(『ぼくは ぼく』童話屋 刊)
谷川さんは日本の、いや世界の詩人です。ノーベル賞が早く来ないかなと夢みていました。でも亡くなってしまいました。92歳でした。
仕方がない、ぼくがあげます。
(2024年11月22日)